Author : 東 浩紀 | Manufacturer : 新潮社 | CustomerReview : 魔法も使えない文学? - 『新潮』に連載された際にちょっとばかし気構えて読んでみましたが、桜坂洋のライトノベルにでてくるキャラクターやら阿部和重の小説にでてくるキャラクターやら東浩紀と個人的な親交の深い(あるいはケンカ別れした)、現在の日本の文壇や思想界を代表するお歴々の名前が続々と登場し、これは私小説ってよりも暴露本だなあ……と拍子抜けしてしまった印象をおぼえています。しかし、その点で確かに本作品にでてくる登場人物はみな「キャラクター」であるはずです。 ですがその後、東さんの対談や鼎談を読んでみると別の見方ができるようになりました(そんな大層なもんじゃないですけど)。 本作品が連載された号の『新潮』の数ヵ月後の同雑誌に二ヶ月に渡って連載された、高橋源一郎・田中和生との鼎談において、田中さんは東さんに対して執拗に「文学的責任」といったものを問います。それに対して東さんはなかばキレ気味……。 確かに純文学がいまだ日本の文芸業界のメインストリームと考えてるっぽい(少なくともそういう印象を受けた)田中さんにとっては東さんの仕事は認められないはずですが、でもそれってスゴく失礼だ――ってことを2ちゃんに降臨した際、東さんは仰っていました。純文学が文芸業界における価値判断の基準になっている現状に警鐘を鳴らし、サブカルチャー批評の重要性を訴えてきた東さんは本作品もそういう位置づけで執筆したはずです。 あと、作品内で小説は「構造・内容・文体」の3つからできていると言っていますが、構造・内容ともに「複数性・階層性」というものをテーマにしています。主人公の東浩紀は3つに分裂し(複数の内容)、しかしそれを執筆する東浩紀がいて、でもそれは物書きとしての東浩紀であってそれを演じている東浩紀が存在する(階層の構造)――ってな感じですけど、正直ワケわかめです……。さらに、文章が下手だと指摘してるレビュアーがいますが、個人的にはこれは佐藤友哉の文体にしか思えませんでした。皮肉っすかねえ……。 まあでも、おもしろかったかなっていまは思います。なんで☆4つで。 続き »
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